カセットとアマチュは判り易い。

 

イギリス人は、島国の国家主権の重要な部分を断念する考えをどっちみち真面目には受け入れないでしょう。ECのさらに外縁に位置する、経済的にまだ遅れた加盟国は、ECを東方に向けて開放することに抵抗するでしょう。そうなると、現状の一か国のECではそれらの国に入ってくる調整金が減額されることになるのを恐れるからです。このような分析からでてくる結論は、耳にできる範囲では、ECを離脱することではなく、と目標の縮小だということです。「EFTA(ヨーロッ・〈自由貿易連合)諸国とポーランド、チェコスロヴァキア、ハンガリー、およびバルト三国への拡大は早晩避け難い。そうなると結果はできるだけ貿易障壁を少なくした共同市場であり、それ以上のものではない。したがってわれわれドイツ人は、ヨーロッ・〈にばかり希望をかけるべきではない。とくにわれわれの優先的な利益、とくに安全保障政策上の利益は何といってもアメリカとの固い。〈トナーシップに結びついているからである。いずれにしてもわれわれはかつてのように、フランスかアメリカ、ECか大西洋共同体のいずれかを選択するよう迫られる状況に追い込まれ、決断がつかぬままに揺れ動かされないように注意すべきだ」というのです。

「日本社会は,この国の歴史の流れの中で互いに補足しあい対抗しあった,共存するつの原則によって動いている。それはイエ社会の原則と個人主義の原則,すなわち。・農民と武士の組織原則と商人の行動原則である。このつの原則はその端緒から 66第部生きがい問題を論じる視点前者は鎌倉時代,後者は遅くとも室町時代から一途切れることなく共に存在してきた」(3)。山崎によれば,日本の近代化は,イエ社会の集団指向の原則が日本を牛耳るようになるにつれ,日本の価値観を歪曲することになったのだ。過去50年にわたり日本の企業と政府は,イエ社会の集団指向の原則が日本文化の原則であるとの見方を一体となって広めてきた。しかしこれは神話である,と山崎は主張している。このことすべてが示唆しているのは,日本の集団主義とアメリカの個人主義は,長年にわたる伝統によって培われてきたものというより,近年の歴史の創造物であり,政治に関連して創られたものであるということだ。

日本人の中に、こんな逆の方向から、日本の新聞を読むやり方を長期間やる人間が、一人ぐらいいてもよいのではないかと思います」という次第ですが、この新聞の読み方はそれから五年後に打ち切ったので、この試みは合計十五年間続いたことになります。この実験的な試みを含めて、自分が生まれた国の現代史を地理的に離れて観察したり、刻々と変貌していく故国の有様をタイムラグの中でとらえ、それを文明の起伏を持った流れの上に投影して、時空的な変化のパターンとして見てきたつもりです。だから、私には歴史学徒として理解している幕末 第一章アメリカでの事業体験と日本の幕末化の意味が、心の痛みを伴った状態で感じ取れるのです。ここで使っている幕末という言葉の響きから、ペリー提督が率いる東インド艦隊が浦賀沖に現われ、黒船騒ぎで日本中が大混乱に陥った、あの徳川幕府が露呈した末期的政治の有様を考え、多くの人が次にくる明治維新を思い浮かべるならば、それは受験勉強のやりすぎに由来する、歴史感覚の歪みを懸念したほうがよさそうです。

大切なことは、すべての問題には答えがある、という意識をもつことである。本書でもくり返し述べてきたが、どんなに困難な問題でも時間軸と空間軸を拡大して考えてみれば、いくらでも解決策は出てくる。時代に合わなくなった国家主義を持ち出したり、すべてを国内で解決しようとするから答えがなくなり、ますます深みにはまるのである。また、すべての外交問題が対米問題にすりかえられるために、国際社会で日本は倭小化してしまう。一人当たりGNPが二万六○○○ドルもの国民が一億二○○○万人もいるのである。そういう世界でも数少ない大国のなかに住む個人の重みを考えなくてはならない。GNPだけでみれば、日本人一人の所得は中国人の七○倍、七○人分にもなっている。こんなに恵まれた環境にいて、しかもここまでの国づくりを戦後わずか四○年で、いまの中国と同じような一人当たりGNP三○○ドルのレベルからやってきた人びとが、自分のことだけしか考えない、というのは、同じ地球人としてあまりにも身勝手と言わなくてはならない